M&Aは広義に捉えると、資本の移動を伴わない『業務連携・技術連携』『株式の持ち合い』なども含まれますが、今回は狭義のM&Aとして『買収』『合併』『会社分割』の3種類に焦点を当てて解説します。
これは、『経営権の移転方法』に基づく分類ですが、人事PMIの観点からは、こうしたM&Aの種類によって実施事項や留意すべき点が大きく異なるわけではありません。
より重要な観点としては『買収企業側の経営方針・スタイルを被買収企業にどこまで持ち込むか』であり、この方向性によって人事PMIの方向性も大きく変わることとなります。
M&Aの種類による人事PMIの要点
少し学術的ではありますが、この方向性のパターンは『買収統合アプローチモデル』というフレームで整理されています。
これは買収企業と被買収企業の『戦略上の相互依存性』と『被買収企業の自律性の必要性』によって、最適なアプローチを定義しているものです。
現実のM&Aの世界では比較的(2)の保存や(3)の吸収が選択されるケースが多い印象ですが、新設合併や新設分割の場合には、(1)の統合が選択される場合もあります。
またこの類型とは外れるかもしれませんが、被買収企業の経営方針・スタイルを買収企業に逆輸入するケースも存在します。
有名なケースとしては、2020年に日立製作所がスイスの重電名門ABBからパワーグリッド事業を買収した例です。
これは、日立製作所自体の変革を加速させるために、敢えて『黒船」として、被買収企業(ABB)の先端的仕組みを取り入れた事例です。
基本的に、人事領域以外においては、買収統合アプローチに即した形でPMIを進めることとなります。
例えば、(3)の吸収を選択した場合には、マーケティング領域においても、マーケティング戦略、組織体制、オペレーションは、基本的に買収企業側に合わせていくこととなります。
しかし人事領域において同様の考え方で制度・ルールや、人・文化を強引に買収企業側に合わせると、人材流出や法的なリスクが高まってしまう結果となります。
逆に、買収統合アプローチとして(2)保存を選択し、買収側・被買収側それぞれの方針・スタイルを継続する場合、人事PMIとしてそれぞれの企業の制度・ルールや文化を継承することも可能ではあります。
しかし、そうすると企業体としての一体感が低減したり、人材の柔軟な交流を阻害したり
様々な弊害が生じてしまうこととなります。
人事PMIはこうした二律背反的な構造のバランスをとることが要求されます。
つまり『買収統合アプローチ』などで解説したトップダウンの方針を拠り所としながらも、『買収企業・被買収企業の現状や変化に向けての準備度』などの足元の状況も両睨みして、人事PMIとしての方針や実施事項を設計していくことが求められるのです。
では、人事PMIは、どのように進めればいいのでしょうか。
人事PMIの基本的な流れ
人事PMIの進め方は『買収統合アプローチ』や、『買収企業・被買収企業の現状や変化に向けての準備度』等によって、実施事項や進め方は異なるものの、今回は『企業買収』を行う場合において、『被買収企業の経営方針・スタイルを買収先に合わせていく((3)吸収の方向性)』を選択し、『両社の人材マネジメント、制度、文化が一定程度異なる』といったオーソドックスなケースを取り上げてみます。
Step1.Side by Side分析(現状分析)
被買収企業だけでなく、買収企業側も含めた人事戦略、人材マネジメント方針、人事制度などを棚卸するステップです。
本来であれば『人事PMIとしての実施事項』に記載がある項目を網羅的に整理・可視化することが理想です。
しかし、PMIにおいては期間が限定的であることから、人事制度など従業員の労働条件に関わる部分を中心に実施するケースも多く存在します。
このStepで重要な点としては、規程として明文化されたものだけではなく、過去の慣習として提供しているフリンジベネフィットなど、例えば少額の手当や特別休暇、報奨関連なども可能な限り洗い出すことです。
買収側としては『重要ではない』『継続しなくても問題ない』と考えてしまうようなものであっても、被買収企業の従業員や組合として重要視している場合には、PMIの後半で問題が顕在化し、フォローや挽回が困難な状況に陥ってしまうこともあります。
Step2. 今後の人材マネジメント方針策定
被買収企業の経営方針・スタイルを買収先に合わせていく方向性であれば、基本的に買収企業の人材マネジメント方針を被買収企業の従業員にも適用していくこととなります。
ただし、Step1によるSide by Side分析によって両社の人材マネジメント、制度、文化が一定程度異なることが明らかとなった場合には、軌道修正が求められることがあります。
例えば、商品販売・営業を手掛けるA社が垂直統合に向けて、商品製造のB社を買収した場合を考えてみましょう。
A社が仮に成果主義的・競争主義的で、売上・利益を獲得できない人材は退職も辞さない様な会社だったとします。
そうした企業に適した人材マネジメント・制度をそのままB社に適用してしまうと、恐らく人材の流出やモチベーションの低下、ひいては守るべき組織文化の毀損が生じてしまう可能性があります。
これは極端なケースではありますが、こうしたケースにおいては買収企業・被買収企業両方の組織文化や人材特性を加味した最大公約数的な人材マネジメント方針を新たに策定していくことが1つの手段となります。
なお、こうした人材マネジメント方針の策定は時に優先順位として劣後されがちですが、Step3以降、特にStep4の制度策定などにおいて非常に重要なインプットとなります。
Step3.人材移管・配置方針の決定
Step3では、被買収企業の人材を買収企業に異動させるかどうかを決定していきます。
こうした異動を行わない場合や、出向で対応する場合には難しい論点は発生しません。
しかし、籍の変更を伴う異動(転籍)の場合には、慎重な対応が求められます。
会社分割の場合は労働契約承継法を活用して、一定の手続きを踏むことで従業員個々人の合意なく転籍させることが可能です。
しかしそうでない場合には、基本的に個別同意が求められることとなります。
個別同意に向けての障壁、つまり従業員が転籍を躊躇する理由としては、
『①労働条件面の心配』『②組織文化・風土面の違い』
『③新しい人間関係を構築しなければならない不安』
『④職務内容が変わる可能性があることに対する不安』
『⑤現在の会社に対する愛着』
などが良く挙げられます。
この内、①はStep4. 人事制度・施策の統合において対応することとなり、②から⑤はStep5.コミュニケーションプランなどにおいて対応することとなります。
いずれにせよ重要なこととしては、漫然と人材の移管・再配置を行うのではなく、Step2で策定した人材マネジメント方針に沿った形で、どこまで異動・転籍を進める必要があるかを見極めることです。
Step4.人事制度・施策の統合検討
Step4では、被買収企業の人事制度や人事施策を統合していきます。
統合を行う理由は、M&Aの目的や人材マネジメント方針によっても異なりますが、主には次の3つが存在します。
①異動時の障壁・不平等の解消
買収企業と被買収企業の人材交流の実現
②ベクトルの統一
買収企業と被買収企業の組織文化等の融和実現
③制度・ルールのシンプル化
人事オペレーションの効率化
人事制度・施策の統合検討の出発点は、Step1のSide by side分析で整理された両社の制度及びその差異となります。
差異を埋める方向性は買収統合アプローチモデルと構造としては同様で、
(1)統合:新たな統合制度を包括的に構築する、
(2)保存:一定範囲の制度は統合するが、一部は併存させる、
(3)吸収:買収側の制度に合わせる
の3つです。
どの方向性を採用するかは「どの様な人材マネジメントを実現したいか(実現すべきか)」、「人材のリテンション・モチベーション・法律上のリスクがどの程度生じるか」、「人件費増減のコストインパクトをどの程度許容できるか」を、総合的に判断して決定することとなります。
更にいうとこれら3つのバランスが人事制度統合の要諦でもあります。
つまり、基本的には人材交流や組織文化の融和、更には新たな企業体として、従業員1人ひとりにとってもらいたい行動を促すことは最重要です。
その目的を最大限実現させながらも、人材流出リスクや法的リスク、もしくはコストインパクトをいかに最小化できるかが鍵となります。
制度としての統合/保存/吸収の方向性が決定した後は、基本的には通常の人事制度設計と同様に、概要設計を行った後、詳細設計を行い、制度移行の方針・方法等を検討していくこととなります。
Step5.従業員に対するコミュニケーションプランの策定
通常の人事制度設計において、コミュニケーションプランとは、策定した新制度の説明会や評価者トレーニングを主に指しますが、人事PMIにおいてはより広範なトピックを取り扱うこととなります。
更により広義に捉えた場合には、M&A契約締結後から行われる従業員に対するあらゆるコミュニケーションに関する計画を指すこととなります。
ある調査では、「M&A発表後に、転職という選択も頭によぎった従業員」は4割に上るというデータもあり、どの様な情報を、いつ、どの様な方法で従業員に伝えていくかを戦略的に設計することが求められます。
では、M&Aにおいて従業員はどの様な部分に不安を感じるのでしょうか。
同調査においては、「自身の処遇面」、「会社の方向性面」、「仕事や手続き面」など多様な側面に関する不安が挙げられています。
つまり従業員コミュニケーションでは、こうした不安を1つ1つ丁寧に解消するための計画策定が求められます。
何をどの様な順番で情報を伝えていくかは、被買収企業が置かれている状況によって異なりますが、基本的には「今後の会社の方向性」→「今後の人材マネジメントの方向性」→
「人事制度の内容」→「個別の処遇」といった流れでコミュニケーションしていくことが一般的です。
Step6 人事組織体制・オペレーション・システムの統合検討
Step6では新たな人材マネジメント方針の実現と、人事制度・施策を効率的・効果的に実行していくための体制を構築していきます
人事制度や施策の統合が無事に実現したとしてもそれを継続的に浸透させ、活用・促進及び改善していく体制が整備されていなければ形骸化や運用上の混乱といったリスクが高まってしまいます
人事組織体制・システム・オペレーションをどこまで統合できるかはひとえに人事制度・施策をどこまで統合できたかに委ねられることとなります
つまり、買収企業と被買収企業の両者において、すべての人事制度・施策が同一であれば究極的には人事部やオペレーション、システムも1つに統合することができます
一方で、制度・ルールの併存が残る場合や被買収企業側の人材マネジメント方針の独自性を残す場合には一部分のみの統合に留まらざるを得なくなるケースがほとんどです
ただし、後者のようなケースにおいても被買収企業に人事の戦略・企画・オペレーションの機能(組織)をすべて残すかどうかについては検討の余地があります
たとえば、将来買収企業側の人材マネジメント方針・制度などへ統合していくことを予定している場合を考えてみましょう
この場合には、被買収企業側の独自性拡大を抑制・統制するために被買収企業には人事戦略・企画の機能(組織)を設置せず買収企業側のHRビジネスパートナーが適宜助言・対応していくような体制をとることもあり得ます
また、オペレーション面でも、将来的に統合を目指すのであれば買収企業側の人事が業務を集約するのもよいでしょう
なお、このステップで忘れてしまいがちなことが1つあります
それは、人事部員は統合を進める推進者であるとともに一人ひとりが不安を抱える当事者でもあるということです
大切なステークホルダーである彼ら彼女らのモチベーションの低下や離職を防がなければ人事PMIとしての成功もありません
一般の従業員と同様に心情面のケアを行いながら人事組織などの統合を進めていく必要があります
Step7 チェンジマネジメント
チェンジマネジメントとは従業員に変革を受け入れてもらうための準備や推進のプロセスを指します
ある意味、人事PMIの活動のすべてがチェンジマネジメントであると捉えることもできますがここでは「Step6までの一連のプロセスを実行したあとのモニタリングと、継続的な啓発・浸透活動」と定義します
チェンジマネジメントのゴールは新たな組織体制のなかで、従業員に今後の戦略や方向性にコミットしてもらうとともに無意識レベルでその実現に向けた行動がとられているような状態をつくることです
今回は、前者の「新たな方向性へのコミット」を促す方法について焦点を当ててみたいと思います
また、チェンジマネジメント自体に焦点を当てた動画もありますので気になった方は確認してみてください
まずご紹介したいのが、Transition Curve™ というフレームワークです
これは「組織の変革局面における変化の受容過程」を解説したものでキューブラー・ロスの「死の受容モデル」を参考に開発されたフレームワークです
変化の受容過程には4つのフェーズがあります
①拒絶
現状にしがみつき、新しい情報を拒否するような段階
②抵抗
感情がより具体的に表れ、怒りや悲しみ、非難などが表出してくる段階
③探求
新たな情報に徐々に興味を持ち、探り探りではありながらも変化を受け入れ始める段階
④やる気(コミットメント)
新たな方向性や目標に向けた行動や協力が見られるようになる段階
もちろんすべての人が4つのフェーズを経るわけではありません
重要なことは、各組織・チーム・個人の単位において現在どのフェーズにいるかを定期的に確認することです
方法としてはアンケートでもヒアリングでも構いませんが収集したデータをもとにチェンジマネジメント実現に向けた方策を調整していく仕組みを構築することが重要となります
(人事PMIのまとめ)
今回取り上げた「人事PMI」というテーマは取り扱う領域が広く、実施事項を多様な角度から検討する必要があります
ここで取り上げたものはその一例にすぎずM&Aの背景や目的、方向性によってはまったく異なるアプローチを用いる必要も生じてきます
そういう意味において、人事PMIは総合格闘技に似ています
つまり、一定のルールは存在するものの勝利を収めるためには、無数に存在する技のなかから最適なものを選択する必要があり相手の特性や状況次第で柔軟に変更していくことを求められます
人事PMIは非常に難度が高いテーマである一方一度取り組むことで人事として「一皮むける」経験になることは間違いないでしょう
ぜひ、直面する困難の数々を楽しみながら、取り組んでいただければと思います