ピッチの中央で相手の攻撃を刈り取り、味方に配る。派手さではなく効き目で試合を動かす。それが、ジュビロ磐田の黄金期を中盤から支え、2度のワールドカップを戦った福西崇史さんだ。
愛媛の野球どころに生まれ、「プロの選手になりたいとも思っていなかった」高校生が、1995年にジュビロ磐田へ入団。その年のうちに、本職のフォワードから未経験のボランチへコンバートされた。「スポーツは結果論です」と繰り返す福西さん。勝ち続けるチームの空気、規律と自由の配分、そしてプロフェッショナルのあり方まで、現役時代と解説者としての視点を交えてオープンに語ってくれた。
第1回(前編)では、未経験のポジションを「わかりました」と引き受けた原点と、「勝っても静かだった」という黄金期のロッカールームに迫る。語られたのは才能の話ではなく、置かれた場所で自分の役割を見極め、発言権を実力で取りにいくという、きわめて再現性の高い作法だった。
| ●福西崇史氏 プロフィール 1976年、愛媛県新居浜市生まれ。新居浜工業高校卒業後、1995年にジュビロ磐田へ入団。入団と同じ年、本職のフォワードからボランチへコンバートされ、ブラジル代表主将を務めたドゥンガや名波浩、中山雅史らとともにジュビロ黄金期を支えた。 在籍中、クラブはJリーグ年間王者3度(1997年・1999年・2002年)、ヤマザキナビスコカップ優勝(1998年)、アジアクラブ選手権優勝(1998/99)などのタイトルを獲得し、個人としてもJリーグベストイレブンに4度選出された。日本代表では通算64試合7得点。2002年日韓、2006年ドイツと2度のワールドカップに出場し、2004年アジアカップ優勝も経験した。 FC東京、東京ヴェルディを経て2009年1月に現役を引退。公式戦500試合出場によりJリーグ功労選手賞を受賞している。 2010年よりサッカー解説者として活動。日本サッカー協会公認A級ジェネラルコーチライセンスを保有し、早稲田大学大学院でスポーツ科学を修めた。 |
| ●中川 裕貴 プロフィール Luvir Consulting株式会社 代表取締役/CEO |
プロになるつもりはなかった。
それでも「わかりました」と答えた
――高校卒業後、県予選で別の選手を視察に来ていたスカウトの目に留まって、ジュビロ磐田に入団されたと伺いました。プロになるまでの経緯と、実際にプロになられたときの心境から伺えますか。
福西さん:もともと愛媛の、土壌としては野球の地区なんです。周りの友達も野球だし、僕も最初は野球、親父も野球。そんな中で、たまたま友達がサッカーを始めたという経緯もあって、僕も楽しくやっていました。ただ、当時はプロがない時代ですから、プロの選手になりたいとも思っていなかった。サッカーが好きだから上手くなって、社会人リーグとか、当時の日本リーグでやれたらいいな、と。大きな目標というより、おぼろげな思いですよね。
用語メモ|日本リーグ/社会人リーグ=Jリーグ発足前の日本のトップリーグと、その周辺の大会。選手は企業の社員として働きながらプレーするのが一般的で、サッカーを職業にするという選択肢は事実上なかった。
――Jリーグの開幕が、ちょうど高校2年生のときですね。
福西さん:1993年です。Jリーグができるなら、せっかくやっているんだから行きたいな、とは思いました。でも、行けるような自分の実力でも環境でもなかった。だから、たまたまその話を聞いたときに、より行きたいと思うようになったし、行けるなら行こう、と。それまでは自分が通用するとも思っていなかったので、不安でしかなかったです。それでも、今までやってきたことがあるし、せっかく行ける機会があるならチャレンジしていこう、ということでプロに行くことにしました。
――そこからフォワードでプロ入りされて、ボランチにコンバートされ、ワールドカップに2回出場されることになります。
福西さん:そんなの自分でも思っていなかったですよ。フォワードとして入ったものの通用せず、「どういうことか」と不安でしかなかった。そのために自分がどうしていかなきゃいけないのかを考えさせられましたし、そういうことがあって、今の考え方にもなってきたと思います。ポジション変更は、自分にとっては未知への挑戦ではあるけれど、プロとして生きていくためにはしょうがないし、やるしかないと思ってやりました。
用語メモ|フォワード=点を取ることが役割の、最前線のポジション。ボランチ=中盤の底に位置し、相手の攻撃を止め、味方の攻撃の起点をつくる役割。得点という分かりやすい数字で評価されるフォワードに対し、ボランチの働きは記録に残りにくい。「コンバート」は、こうしたポジションの転向を指す。
――コンバートは今もよくあります。高校時代にフォワードで活躍した選手がウイングバックになる、とか。それをポジティブに捉えるのかネガティブに捉えるのか、僕らからは分かりにくいのですが、当時はいかがでしたか。
福西さん:ポジティブでもネガティブでもない。「わかりました」ですね。本当に「わかりました」じゃないと、それを受け入れられないと思ったんです。プロの世界で生きていくために、ということですよ。フォワードで通用していたら、多分「いやいや、フォワードやりますよ」と言えたでしょうし。通用するかどうかの選手は、やってみないことにはわからないので、受け入れました。
――受け入れてみて、いかがでしたか。
福西さん:やってみることで楽しさが出てきて、今となっては特に良かったなと思っています。やってみないとわからないこともあるので、今もみんなに「やってみたらどう?」と伝えることが多いですし、そこで気づくこともある。ダメならやめればいいし、戻りたいと言うならフォワードに戻ればいい。でも僕は戻ろうとは思いませんでした。むしろここを掘り下げた方が面白いと思ったんです。それは根本に、プロとしていたいからです。

隣に“世界一”がいた。
勝っても静かだった、黄金期の内側
――ボランチに移られた頃、隣にドゥンガ選手(当時のブラジル代表キャプテン)がいらっしゃいました。福西さんは人をよく観察される方だと伺っています。ドゥンガ選手や名波さん、中山さん、服部さんといった名プレイヤーから、何を吸収されたのでしょうか。
福西さん:結局、自分の知らないことを知っているわけですし、自分にできないことができるわけです。それぞれの人がそれぞれの良さを持っていて、それは自分にないことですから、全部が新鮮だし、必要なことでした。自分にできること・できないことがあるからこそ、いろんな人がいろんなものを持っていると、自分に取り入れられる。一流の人たちが周りにいたおかげで、いろんなものを知ることができたなと思います。
用語メモ|ドゥンガ=1994年ワールドカップでブラジル代表の主将を務めた選手。名波浩氏、中山雅史氏、服部年宏氏はいずれも当時の日本代表の中心選手。プロ1年目の若手が、世界王者の主将と日本代表の主力に囲まれて日々練習していた、という状況にあたる。
――とりわけドゥンガ選手のリーダーシップは、画面越しでも強烈でした。実際に隣におられて、どうでしたか。
福西さん:みんな以上に知っているのは俺でしょうね(笑)。それくらい、すごいことでした。当時は、日本のプロサッカーがまだプロじゃなかった時代なわけです。そこに、一流の世界でプロとして戦ってきた人たちがいる。そもそも自分にプロ意識なんてなかったわけですから。その人たちに、根本の「プロとは何か」を教わりました。勝つべきだし、自分で生きていくべきだし、では自分をどうやってチームに落とし込むべきか。年齢を重ねていけば、年下の選手たちとどうやって一緒に切磋琢磨していくか。これは辞めてから特に思いますけど、組織と同じなんですよね。自分がどう成長するか、どう生きるかを学んだところです。
――ジュビロはその後、黄金時代と言われます。当時の練習やロッカールームの雰囲気はどうでしたか。勝つチームと負けるチームでは、何か違う空気があるのかなと思っているのですが。
福西さん:前提として、スポーツは結果論です。プロは結果論なので、その結果で雰囲気の良し悪しはもちろん出てくる。それでも、目指しているものがどうかなんですよ。僕らは勝っても、自分たちの思い通りに回らなかったら、負けているチームみたいに静かでした。じゃあ、その静かな中でどうすれば思い通りにできるのか。もう喧嘩くらいの勢いで話すし、言い合う。それが当たり前でしたね。
――当時のジュビロと他のチームで、ここが一番違ったんじゃないか、というものを一つ挙げるとしたら。
福西さん:言い合っていたこと、じゃないですかね。他のチーム以上に、ということです。僕も他のチームに行って、「なんで言わないの?」と思いましたから。ベテランは言うけど、若手がなぜ言わないのか、と。その環境づくりもそうだし、チームがどうやってそれを作っていくか。監督もコーチも、選手も同じです。結局、同じチームが勝つためにやっているんだったら、そのために言い合わないのか、と思いましたけど、僕にとってはそれが当然の環境だったので。
言いたければ実力を上げるしかない
――プロ1年目から、そういう環境だったのですか。
福西さん:1年目は、そんなことさえ思えませんでした。言えなかったし。年齢に関係なくお互い言い合うチームではあったんですけど、自分が言える立ち位置じゃないんですよ。だから、言えるようにならないといけない、成長しなきゃいけないと思えた。自分ができるようになったら、言うことも増えてきました。言う環境ではあったけど、自分に実力がないから言えなかっただけで。言いたければ、実力を上げるしかないんです。
――これは、そのまま組織にも当てはまる話ですね。心理的安全性という言葉が広まって、「誰でも発言していい」という制度は作れます。ただ、その発言が実際に通るかどうかは、また別の話で。
福西さん:結局、勝ちたいわけですから、そのためにどうするかを考えなきゃいけない、ということじゃないですか。

【次回予告】
置かれた場所で役割を見極め、発言権を実力で取りにいく。福西さんが語った「プロ」の作法は、個人の話にとどまらず、そのまま組織のあり方に接続していく。 続く第2回(後編)では、視点を組織づくりへ移す。トルシエは規律、ジーコは自由――両極端の代表監督のもとでプレーした福西さんは、どちらが正しいとは言わない。それでも譲らないものは何か。2026年ワールドカップの日本代表評から、「プロとは何か」という一貫した思想までを聞いていく。