Luvir Consulting代表の中川裕貴が、各業界の第一線で活躍する人々に、事業への向き合い方や仕事に没入する瞬間、人生哲学を聞く対談企画。
今回は、大阪・十三の「ホテルプラザオーサカ」を展開する株式会社プラザオーサカより、取締役の菅原真太郎氏を迎えた。
中川と菅原氏は同年代で、学生時代を過ごしたのも同じ神戸エリア。そんな共通点もあり、対談は自然と近い目線で進んでいった。
第1回では、もともと家業を継ぐつもりがなかった菅原氏が、なぜホテルの道へ進んだのか?菅原氏の事業承継の原点に迫る。
| 〇菅原真太郎氏 プロフィール 株式会社プラザオーサカ 取締役/ホテルプラザオーサカ 取締役 1988年、兵庫県生まれ。甲南大学を卒業後、株式会社三井住友銀行で法人営業に従事。経営者と接する日々のなかで、祖父が創業し、父が継いできたホテル事業への思いを深める。その後、神戸ベイシェラトンホテルで約5年間、レストランサービスや企画広報などホテルの現場を経験。2016年に株式会社プラザオーサカへ戻り、現在は653室を有する大阪・十三にあるシティホテル「ホテルプラザオーサカ」の経営に携わる。 また、インバウンド対応、レストラン事業、地域連携、十三の街づくりなどを推進するほか、全旅連青年部の役員や宿泊業技能試験センターの理事としても活動中。 |
| 〇司会進行 Luvir Consulting株式会社 中川裕貴 代表取締役/CEO |
650室のシティホテルが
なぜ“十三の街づくり”に挑むのか
――本日はお時間をいただき、ありがとうございます。弊社では、各業界の第一線でご活躍されている方々に、事業への向き合い方や仕事に没入する瞬間、その方ならではの価値観などを伺う対談企画を行っています。
今回は、菅原さんの家業である「ホテルプラザオーサカ」の事業について、また、後編(第2回)では一歩踏み込んで、事業承継や十三の街づくりについても幅広く伺えればと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
菅原氏:こちらこそ、よろしくお願いします。
――菅原さんは1988年生まれで、兵庫県のご出身。甲南大学に通われていたと伺っています。僕は石川県出身ですが、同じく1988年生まれで神戸大学にいたので、当時、我々はかなり近いエリアにいたようです。

菅原氏:なかなか共通項がありますね。
――同世代ということもあり、今日は少し近い目線も交えながらお話を伺えればと思います。
まずは、こちらのホテルプラザオーサカについて教えていただけますか。十三駅から徒歩5分程で、大阪市内の中でもかなり大きいホテルですよね。
菅原氏:客室数が653室ありまして、宿泊だけでなく、レストラン(和・洋・中・鉄板焼)や宴会場、フィットネスクラブを備えています。団体のお客様にも対応しやすいですし、いろいろなニーズに応えられるのが強み。
最近はアパホテルさんのように大規模なホテルも増えていますが、それでも市内では大きい規模に入るかと思います。
――インバウンドのお客様も多い印象です。
菅原氏:はい。今は宿泊のお客様のうち、外国の方がだいたい45〜50%を占めるようになりました。
十三は梅田(大阪)から近く、京都にも行きやすいのでアクセス面では非常に恵まれています。ただ、街としてはまだまだ魅力が伝わりきっていない面がある。 ホテル単体で集客を考えるだけではなく、十三という街そのものを魅力的にしていくことが、これからのホテルプラザオーサカの役割だと考えています。
家業への意識を変えた経営者たちの言葉
――そのあたりのお話は後編でも詳しく伺えればと思います。
さて、菅原さんは3代目として家業に関わられているわけですが、最初から「ホテルを継ごう」という意識はあったのですか?
菅原氏:いえ、まったくなかったです。当時はホテル業界全体の業績が良くなかったですし、父からも継いでくれとは言われませんでした。むしろ「就職先で精いっぱい頑張れ」と思っていたのではないでしょうか。
ですから私は、就職活動を経て三井住友銀行に入行。大阪・難波エリアで法人営業を担当しました。
銀行を選んだ理由の一つは、若いうちから経営者の方々とお会いできると思ったから。実際に経営者の方々と話す中で、会社や従業員への思いを聞く機会が多くあったのですが――そのうち、祖父がつくり、父が継いだ会社に、自分がまったく関わらないのは違うんじゃないかと感じるようになったのです。

――家業から一度離れて銀行に入ったことで、逆に家業のことを考えるようになった。その思いをお父様に伝えた際、反応はいかがでしたか?
菅原氏:当時はまだホテルの業績も良くなかったので、父には「今はそういう状況ではない。銀行で頑張った方がいい」と言われ、健在だった祖父からも反対され……。仕方がないので、銀行に辞表を出してから家族に報告しました。
――すごい行動力! そこからすぐにホテルプラザオーサカへ?
菅原氏:いいえ。祖父も父も、もともとは不動産事業を中心にやってきた人間で、ホテルマンとして現場に立ってきたわけではありません。自分もホテルのことを何も知らない状態だったので、一度は他のホテルで修業したいと考えました。 そこでご縁をいただき、神戸ベイシェラトンホテルに入らせていただいたのです。
「サービスってこういうことか」
現場で知ったホスピタリティの本質
菅原:最初に配属されたのはバイキングレストランのホールサービスで、配膳、掃除、皿洗いなど、本当に現場の基本的なところからのスタートでした。
――メガバンクの法人営業から、ホテルの現場へ。かなり違う環境だったと思いますが、最初は戸惑いもあったのではないかと思います。
菅原氏:はい。ホテルの現場に入ると、年齢やこれまでの経歴に関係なく、できないことはできないとはっきり指摘される。そのたびに、思うように動けない自分が歯がゆかったですね。
もちろん自分で選んだ道ではあるのですが、最初の半年から1年ほどは、「何してるんやろ」と落ち込んだことも……。
そんな中で支えになったのが、お客様の反応でした。
ある時、レストランで一人のお客様に何気なく行った対応を、とても喜んでいただいたことがあったのです。すると翌日、その方がご友人を連れて、またお店に来てくださって。

――それは嬉しいですね。
菅原氏:はい。その出来事をきっかけに、サービスに対する見方が変わりました。
以前は、注文されたものを正確に出す、言われたことにきちんと応える。そうした対応こそがサービスだと思っていたのです。
しかし実際には、もう一歩先を見てこそのサービスだった。
お客様の動きや会話、表情を見ながら、「この方は何を求めているのだろう」と想像する。ご要望に応えるだけでなく、一歩先の提案ができた時に、お客様の印象に残る体験になるのだと思います。 ホスピタリティという言葉は誰でも使えますが、その本質は、現場に立たなければ真の意味で理解できなかったかもしれません。
現場を知ったからこそ経営の難しさが見えてきた
――神戸ベイシェラトンでの修行期間はどれくらいですか?
菅原氏:約5年です。レストランの現場を経験した後、企画広報のような部署にも関わりました。新しいプロジェクトの立ち上げや販促まわりも経験できたので、ホテル全体の見せ方も含めて学べたことは大きかったと思います。
――一方で、現場を知ったからこその難しさもありそうです。
菅原氏:ありますね。たとえば経営者として、生産性を上げるために仕組みを変えるなどの場面が出てくるとします。しかし現場を知っている分、「それは大変だよな」と思ってしまう。
ドライに判断しないといけない場面でも、つい現場目線に寄りすぎてしまうところは、自分の課題です。
もちろん現場を経験したからこそ、お客様に近いところで何が起きているのか、スタッフが何に悩んでいるのかもわかるようになりました。
家業に戻る前に、自分なりに「ホテルとは何か」「サービスとは何か」を考える時間を持てたことは、とても大きかったと思います。

――ありがとうございました。
前編では、菅原氏が家業に戻る道を選ぶまでの経緯、そしてすぐに戻るのではなく、修業先で現場を学ぶことを選んだ理由について伺いました。 後編では、菅原氏が3代目として向き合う事業承継の実践を中心に、現代表であるお父様との関係、そして十三という街とともにホテルの未来をつくる取り組みについて伺います。
【次回予告】
“社長の息子”として見られる立場、先代の考えを否定せずに自分の考えを重ねていく姿勢、そして受け継いだホテルを次の時代へどうつないでいくのか。
後編では、菅原氏が考える承継と、ホテルプラザオーサカのこれからを掘り下げていく。