2026.05.29 ニュース

650室のホテルと十三をつなぐ。
三代目の壮大なチャレンジ

650室のホテルと十三をつなぐ。<br>三代目の壮大なチャレンジ</br>

第2回では、菅原氏がホテルプラザオーサカに入社し、3代目として経営に関わる中で大切にしてきたことを聞いていく。

受け継いだものを守るだけではなく、自分たちの世代の考えをどう重ねていくのか。その問いは、十三という街とともに未来をつくる取り組みにもつながっている。 菅原氏が考える、事業承継の現在地とは――?

――第1回では、銀行を辞めて神戸ベイシェラトンホテルで修業されたお話を伺いました。家業に戻られてからは、すぐに経営に関わる形だったのでしょうか。

菅原氏:役職としては主任でしたが、いきなり経営の中心に入るというより、企画広報に近いところからのスタートでした。立場としては、平社員に近かったですね。

当時は、今のように企画広報の体制が整っていたわけではなく、販促物も古いままで。そこで、チラシを作り直したり、ホームページを見直したり、SNSでの発信を始めたり。まずは、ホテルを外に向けてどう見せていくかという部分から関わっていきました。

――そこで気になるのが、社員の皆さんとの距離感です。経営者のご子息として家業に戻られたことで、周囲の見方や受け止め方に難しさを感じる場面などは?

菅原氏:ネガティブな見られ方はしていなかったように思います。というのも、やはり5年間の現場経験が大きかった。父と修業先の社長が親しかったこともあり、「しっかり鍛えてください」という感じで預けられていたので。

実は現場で働いている姿を、ホテルプラザオーサカのスタッフも見に来てくれていたんです。そういったこともあり、皆さんにも「何も知らない状態で戻ったわけではない」ということは伝わっていたのかなと思います。 ――それは大きいですね。現場を経験してきたことが、周囲との距離を縮める土台にもなっていたのですね。

――現在はお父様が代表で、菅原さんが次の世代として経営に関わられている形ですよね。事業承継では、よく「親子だからこそ難しい」と聞くこともあります。近い関係だからこそ遠慮がなかったり、逆に言いにくいことがあったり。お父様との関係性の中で、難しさを感じる場面はありましたか?

菅原氏:うちの場合は今のところ、確執もやりづらさもないんです。 父は本当に仕事が好きな人で、今でも365日会社に来るくらい(笑)、会社に対して熱量を持っている。そこはすごいなと思いますし、とても尊敬しています。

一方、第1回でもお話しした通り、父はホテルマンとして現場に立ってきたわけではありません。自分が持っていない部分については私にある程度任せてくれていますし、そこは役割分担に近いのかなと思います。

とはいえ、世代的な違いで意見が合わないことはありますよ。私も、かつては父を論破するための資料を作っていたこともありましたし……。

――そうなんですか!?

菅原氏:はい。でも今では、まず父がなぜそう考えているのかを理解するようにしています。そのうえで、自分たちの世代なりに再解釈して、より良い形に変えていく。たとえるなら、色を塗り替えるのではなく、重ねていく感じでしょうか。

――お祖父様・お父様と重なってきたものがあるからこそ、簡単には塗り替えられない。さらに、どう重ねていくかを考える。その感覚は、事業継承をする上ですごく大事なんだろうと思います。

――第1回でも少し伺いましたが、ホテルプラザオーサカはインバウンドのお客様も多く、十三は梅田や京都方面へのアクセスにも恵まれている。一方で、街としての魅力はまだまだ外に伝わりきっていない。そこで、十三という街そのものを魅力的にしていくことが大事だとお話しされていました。

菅原氏:はい。私は十三という街を“目的地”にしていきたいのです。

十三には個性的な飲食店が増えていますし、大阪らしい泥臭さも残っている。単にきれいな観光地として整えるのではなく、お店の人や街の人との距離が近いこと、大阪らしい空気を感じられること――イメージとしては“日本のブルックリン”なのですが。そんな文化のある地域として再ブランディングすることを目指しています。

ただ、それはホテルだけで実現できるものではありません。地域には地域の事情があり、それぞれのお店の考え方もある。そこで、いきなり大きなことを進めるのではなく、まずは小さな活動を重ねていきました。具体的には、チャリティーベースボール教室や子ども食堂、子ども向けイベントなどです。

やがて「プラザさんは地域のために頑張ってくれているよね」と言っていただける機会も増え、少しずつ地域との距離が縮まっていったように思います。 ――そうした関係性ができてきたことで、より具体的な街づくりの動きにもつながっていくわけですね。

菅原氏:そうですね。十三には、梅田や難波とは違う魅力があります。そこにアートやグルメ、飲み歩き、さらに地域の人々との交流が掛け合わさることで、他のエリアにはない体験が作れるはずです。

プラザオーサカでも、『JUSO ARCHIVE PROJECT 写真からひらく、十三の風景』を通じて、十三の古い写真や記憶をアートとして発信していますし、BAKIBAKIさんが万博会場で制作した大型壁画『希望の系譜』(*)がホテルへ移設されます。

アートをきっかけに街を歩く人が増え、十三の魅力を再発見してもらう。そうした流れを、ホテルとしてもつくっていきたいと考えています。

*『希望の系譜』は、ホテルプラザオーサカ敷地内への移設完了後、5月31日に完成披露会が開催された

――では、ホテルプラザオーサカはどんな役割を担っていくのでしょうか?

菅原氏:宿泊されたお客様に「十三にこんな場所があるんだ」「行ってみよう」と感じていただけるよう、街の情報を届ける拠点になること。そして、十三の街に一歩出ていくきっかけをつくり、お客様と街をつなぐ入口になること。ただの“泊まる場所”にとどまらないことが私たちの役割であり、それは結果的に、ホテルプラザオーサカにとっての勝ち筋にもなると考えています。

――ホテルだけで完結するのではなく、街全体の魅力を高めることが、結果的にホテルの価値にもつながっていく。十三の街づくりそのものが、ホテルの未来にも重なっているように感じます。

――さて、この対談企画では、仕事に没入する瞬間についても伺っています。菅原さんが特に入り込んでいることを教えてください。

菅原氏:現在ホテル2階のプールを改修して、大浴場とサウナをつくる計画があります。ホテルとしてもかなり大きな投資になるプロジェクトなので、今はそのサウナ部分にかなり没頭していますね。

――ご自身もサウナ好き?

菅原氏:週7で通うくらいには(笑)

サウナに入っていると、「無」になると同時に、頭が整理されるんですよ。

最近はスタッフを連れてサウナ合宿のようなこともしています。皆でサウナに入って、ご飯を食べながら「ああでもない、こうでもない」と話していると、普段の会議では出ない意見が次々と出てくる。

今回のサウナ計画は、単なる設備投資ではなく、チームづくりにもつながっているのではないかと思います。

――では最後に。少し先の話になりますが、さらに次の世代へつないでいくことについてお聞かせください。

菅原氏:正直なところ、まだ具体的には見えていません。子どもは女の子と男の子が一人ずついますが、将来このホテルを継ぐかどうかもわかりませんからね。

ただ自分としては、次の世代に「面白そうだ」「可能性がある」と感じてもらえるような事業にしておきたい。

それは、もしかするとテル事業そのままではないかもしれません。しかし形が変わったとしても、祖父から父へ、そして私へと受け継いできた事業への思いや姿勢を、次の世代にもつながるものとして残していきたいと思っています。

――たくさんの貴重なお話をありがとうございました。

メガネ社長の編集後記

「面白い」と言うと少し失礼かもしれませんが、同年代のよしみでお許しいただくとして、今回の対談で一番惹かれたのは、菅原さんが「最初から継ぐつもりだった3代目」ではなかったことです。

家業から一度離れ、銀行員として経営者たちと向き合ったからこそ、逆に家業の存在が見えてくる。経営者の方々が会社や従業員にかける思いを聞く中で、「祖父がつくり、父が継いできた会社に、自分が関わらないのは違うんじゃないか」と感じ始める。この流れが、とても自然で、かつ強い話だと感じました。

さらに印象的だったのは、そのままホテルプラザオーサカに入らなかったことです。

メガバンクの法人営業から、ホテルの現場へ。慣れぬ環境に戸惑いながらも、やがては「サービスってこういうことなのか」と気がついていく過程に、菅原さんの覚悟と人間味がにじんでいたように思います。

第2回で特に残ったのは、継いだ後のリアルです。

お父様を論破するための資料を作っていた時期があった。でも、今は先代を否定するのではなく、一度受け止め、自分たちの世代なりに再解釈していく。ここに、事業承継の難しさと奥深さが詰まっているように思います。

そして、ホテルプラザオーサカの未来を、ホテル単体ではなく十三という街とともに考えていること。これは単なる地域貢献ではなく、受け継いだホテルを次の時代へつなぐための経営そのものだと感じました。

継ぐとは、過去をなぞることではない。

一度外に出て、現場を知り、先代を受け止め、その上に自分の時代の意味を重ねていくこと。

家業を継ぐ方だけでなく、組織の中で何かを変えようとしている方にとっても、菅原さんのお話が少しでも参考になれば嬉しく思います。