社員が「この子」と呼ぶ包丁に宿る、愛と誇り
各業界の第一線で活躍する人物に、仕事への向き合い方から人生哲学までを聞く本対談。今回、Luvir Consulting代表の中川裕貴が話を聞いたのは、岐阜県関市で1873年から150年以上続く刃物メーカー、三星刃物株式会社の代表取締役社長・渡邉隆久氏だ。
「関の包丁」として国内外に知られる同社だが、その歩みは決して平坦ではなかった。高度成長期に海外向けOEMでいち早く飛躍しながらも、価格競争のなかで幾度も苦い経験を重ね、やがて自社ブランドの包丁「和 NAGOMI(なごみ)」へと舵を切っていく。
第1回では、150年の家業をどう受け継ぎ、どうつくり替えてきたのか。OEMの限界と自社ブランドへの転換、そして「この子」と呼ばれるほど社員に愛される包丁が生まれるまでの物語に迫る。
〇渡邉隆久氏 プロフィール
三星刃物株式会社 代表取締役社長。1873年(明治6年)に岐阜県関市で創業した三星刃物の5代目。刀鍛冶であった曽祖父・渡辺善吉の代から続く家業に1986年に入社し、急激な円高で事業環境が一変するなか、中国での開発・生産体制の構築を担った。1996年に代表取締役社長へ就任し、以来約30年にわたり経営を率いる。長らく主力であった海外向けOEM(相手先ブランドによる製造)からの転換を決断し、自社ブランドの包丁「和 NAGOMI(なごみ)」を立ち上げた。「本当に良いものを。ずっとつき合えるものを。」という理念のもと、丁寧なものづくりと、研ぎ直し・修理などのアフターケアでファンを広げている。三星刃物は岐阜県関市下有知に本社を構え、2023年に創立150周年を迎えた。関連会社に株式会社LTJ(旧・レザーマンツールジャパン)。
〇司会進行
Luvir Consulting株式会社 中川裕貴 代表取締役/CEO
「侍の時代」の終わりとともに始まった、
150年の歩み
――本日はよろしくお願いいたします。まず、御社は創業から150年を超えられたと伺いました。いわゆる侍の時代の終わりとともに歩みが始まったと思うのですが、ここまでの歴史を簡単にお聞かせいただけますか。
渡邉氏:渡邉家のルーツをたどると、関の刀鍛冶の流れにたどり着きます。先祖まで遡ると600年ほどになりますが、会社としての最初の一歩を踏み出したのは、私の曽祖父にあたる初代・渡辺善吉です。刀鍛冶の流れを汲みながら独立したのが始まりですね。
最近になって古い資料が出てきたのですが、この曽祖父が、明治期に日本で開かれた第三回内国勧業博覧会で表彰されているんです。しかも、その数年後にはシカゴ万博にも出品して評価を受けている。今から130年以上も前の話です。私自身、歴史を調べ始めて出てきた記録に驚きました。かなり腕のある職人だったようです。

――130年以上前にシカゴ万博ですか。すごいですね。では、その後もご家族は職人として刃物をつくられてきたのでしょうか。
渡邉氏:二代目渡邉善吉はどちらかというと販売に強く、アジアへの市場を開拓しました。 父の鉞夫は戦後、早い時期にアメリカへ渡って、1957年にはニューヨークに拠点を構えています。当時、アメリカに行くだけでも飛行機を乗り継いで何日もかかった時代です。父はほとんど家におらず、海外を飛び回っていました。業界の中でも、海外進出はかなり早いほうだったと思います。
――渡邉社長ご自身が会社に入られたのは。
渡邉氏:1986年、プラザ合意の直後です。父が体調を崩したこともあり、戻ってこいと言われて帰ってきました。ところが蓋を開けてみると、急激な円高で業態がまるごとひっくり返っている。「これはどうするんだ」という状態でした。そこで海外進出の担当として中国へ渡り、生産体制の立ち上げをやったんです。それから10年ほどで社長を継ぎ、気づけばもう30年になります。
OEMの限界――「デザインごと、持っていかれた」
――御社は長くOEM、いわゆる相手先ブランドでの製造を主力にされてきたと伺いました。刃物メーカーとしてのプロフェッショナリズムは、その頃と今とで変わってきたのでしょうか。
渡邉氏:まったく変わりましたね。OEM時代の考え方は、極端に言えば「いかに安くつくって、高く売るか」。お客様からいただいた仕様どおりに、いかに早く、コストを下げてつくるか。コンテナで何本受注できたか、がビジネスの生命線でした。在庫を持たなくていいし、つくれば売れる。父からも「在庫は悪だ」と教え込まれてきましたから、私にとっては理想的なビジネスモデルだと思い込んでいたんです。
――それが揺らぐ出来事があった。
渡邉氏:ええ。アメリカの大手ブランドから、日本製の包丁をつくりたいと直接指名をいただいたことがありました。デザイナーも来て、試作品まで全部つくって、毎週深夜に時差のある電話会議で宿題をこなして……。1年かけて、ようやく完成にこぎつけた。ところが最終的に「日本製は高すぎる」と言われ、そのまま中国でつくることになった、と。企画も、試作の見本も、スペックも、全部持っていかれました。対価はゼロです。
――それは……。企画ごと持っていかれてしまう。
渡邉氏:同じような経験を2度しました。こちらが一生懸命デザインを提案しても、ブランドはあくまで相手のものですから、値上げをお願いすれば翌月には隣の工場に発注が移っている。自社ブランドでなければ、こんなに簡単にスイッチされてしまうのかと。あまりのショックに寝込んでしまい、そこで初めてOEMの限界に気づきました。
妻の一言から始まった、自社ブランドへの挑戦
――そこから、どうやって立ち上がられたのですか。
渡邉氏:寝込んでいたとき、妻に言われたんです。「150年も続く企業なのに、どうしてあなたはOEMにこだわるの。どうして自社ブランドをつくろうと思わないの」と。
正直、自社ブランドは真逆のビジネスです。在庫リスクを自分で抱え、売り方も、品質保証も、ブランディングも全部自分でやらなければならない。OEMなら全部お客様任せでよかったものを、ゼロから背負うわけです。でも、もうそれしか生きる道がなかった。約3年の試行錯誤を経て、2015年にたどり着いたのが「和 NAGOMI」でした。発売からまだ11年の、比較的若いブランドです。

――ブランドを立ち上げて、社長ご自身の中で何が一番変わりましたか。
渡邉氏:顧客のことを本気で考えるようになりました。お客様が何を求め、何に困っているのか。我々のブランドはどうあるべきなのか。OEM時代は、いかに早く安くつくるかにしか関心がなかった。それが、一人ひとりのお客様にいかに満足していただくか、という発想に180度変わったんです。理念も「本当に良いものを。ずっとつき合えるものを。」と再定義しました。だから修理もしますし、帰ってきた包丁はハンドルを磨き直し、刃先も研ぎ直して、長く使っていただく。それを一つの伝統にしようと思ったんです。
――最初の製品を海外に持って行かれたとか。
渡邉氏:フランクフルトの見本市です。ドイツ人に開口一番「これはBMWだ。でもBMWはドイツがつくる。お前は日本の包丁をつくればいい」と言われて、途方に暮れました。そんなとき、リヨンのシェフがすごく評価して、応援してくれたんです。「これでやろう」と思えた。ブランドをつくるのは本当に難しい。宣伝すればいいわけではなく、「なぜその包丁を選ぶのか」というところから始まる。使ってよかった、という口コミが少しずつ積み上がって、10年あまりかけて「和 NAGOMI」を知る人を増やしてきました。
ブランドが変え、社員が変わった
――お話を伺っていると、社長が旗を振って社員を引っ張ったというより、ブランドそのものが社員を変えていったように聞こえます。
渡邉氏:まさにそうなんです。私が主導したわけではなく、製品とお客様が社員を変えてくれた。OEM時代は、納期どおり仕様どおりつくってクレームが来ても「受ける理由がありません」と突っぱねていた。それが今は、稀に来るクレームに対して、いかに早く、いかに丁寧に対応してお客様に満足していただくか。クレームをくださったお客様が、かえってコアなファンになってくださる。社員の対応がコロッと変わったんですよ。
この間、検品をしている女性社員が、製品のことを「この子」と呼んだんです。「この子、ちょっと再検品しなきゃいけないの」と。包丁を「この子」と呼ぶ。それくらい社員一人ひとりが製品に愛着を持ってくれている。
――それは嬉しいですね。強いオーナーシップを感じます。
渡邉氏:会社の入り口に「和 NAGOMI」の大きな看板があるのですが、あれも社員が自分たちの手でつくってくれたものなんですよ。誰かに指示されたわけでもなく、自分たちのブランドに誇りを持って。そういうプロダクトをつくることができたのは、経営者として本当に誇らしい。研ぎ直しに出したお客様から「いつ返してくれるの、早く返してほしい」と催促の電話が来ることもある。切れないから困る、ではなく、自分の指先のように生活の一部になっているから、早く戻ってきてほしい、と。持った瞬間に「素敵」と言っていただける包丁を、長く愛していただく。それが今の「和 NAGOMI」のブランド力です。

――「和 NAGOMI」のない三星刃物は、もう考えられませんね。次回は、その先にある「関」という街と、「伝統」についてお聞きします。
【次回予告】
OEMの限界を越え、自社ブランドで社員の心まで変えてきた渡邉氏。しかしその視線は、一企業の枠にとどまらない。 包丁はどの街でもつくれる。しかし、鎌倉時代から続く刀鍛冶の歴史だけは、誰にも真似できない――。高齢化で刀匠が途絶えかねない「刀の都・関」を、どう未来へつなぐのか。そして、組織文化のさらに上位にある「伝統」とは何か。次回、その核心に迫る。