2026.02.03 ニュース

【同級生対談】アーティスト奈良祐希×Luvir中川 20年越しの本音と青春の葛藤を語る!(後編)

【同級生対談】アーティスト奈良祐希×Luvir中川 20年越しの本音と青春の葛藤を語る!(後編)

「AIに勝てるのは“生々しさ”」
伝統×組織文化は掛け算でできている

「AかBか選べと言われたら、Cを探す」――奈良祐希氏の創作哲学は、中川が率いるLuvirの組織づくりにも通じていた。

0から1を生む楽しさ、期待値を超える姿勢、AI時代に残る価値。

二人が辿り着いたのは、型に従うのではなく、型を更新し続ける“文化”の話だった。

二択の世界から抜け出すと、
仕事は俄然、面白くなる!

中川:前編の第1回では、奈良祐希の“Cを探す”という思考が、どこから生まれたのか。その背景にあった家業との距離感や、建築へ向かった理由を聞かせてもらいました。

後編となる今回はそこから一歩踏み込んで、“仕事の現場でCをどうつくるか”という実践の話に入っていきたいと思います。

まずは僕自身の話から。

新卒で入社した証券会社は“指示の嵐”で。言われた通りに動く人が正解、という世界観のなかで、「自分の意志で選べていない」息苦しさを感じていたんです。

その当時の違和感が、結果的にLuvirという会社の文化づくりにもつながっていきました。

ジャンルは違うけど、「A/Bの二択ではなくCをつくるタイプ」という意味では、奈良と僕はかなり似ているのかもしれません。

さて、建築の世界ではどうだろう?

奈良:建築もかなり近いところがある。お施主さんの要望にきっちり応えるのが僕たちの仕事ではあるけれど、言われた通りにそのまま返すだけなら、AIでもできるわけで。

僕らがやるべきなのは、依頼されたものを踏まえたうえで、期待値を超える提案を返すこと。

僕は学生時代からそういうところがあって、たとえば「1/100の模型を作れ」と言われたら、あえて1/50の大きな模型にして返していた。スケールを大きくすれば、その分だけ考えないといけないことが増えるからね。

「Aをやれ」と言われた時に、その期待に応えつつ、もう一歩先――Cのアウトプットを出す。その感覚は、今も一貫して忘れないようにしているかな。

中川:コンサルファームも一緒やわ。

「これをやってほしい」と言われたことを、そのまま形にして返すだけでは、本当に意味のある価値にはならない。そもそも相手が達成したい“本当の目的”は、別のところにあることが多いので。

だったら、その目的に一番合う「そもそも、Cという別のルートがあるんじゃないか」を一緒に考える仕事をしたい。

AIの時代に残るものは
“バーチャルに乗らないリアリティ”

中川:さっきAIの話が出たけど、パワポも資料も秒単位で作る時代になってきて、僕らは「じゃあコンサルの価値って何?」という問いに直面している。

多くの業界で“価値の本質”が変わりつつあるよね。

奈良:僕は「バーチャルに乗らないものだけが残る」と考えている。

人間は情報を食べて生きているところがあって、その領域にAIが入り込む一方で、数値やデータに変換できない“物質のリアリティ”には、まだ触れられていない部分が多い。

工芸や陶芸は、まさにその世界。

土の手触り、わずかな重さの違い、におい、焼きムラ、偶然の景色――ああいう五感に訴えるものは、どれだけ技術が進んでもAIでは再現できないと思うから。

これからはむしろ、そんな“生きた質感”の価値が高まっていくんじゃないかな。

代表作『Bone Flower』は
いかにして生まれたのか

中川:ずっと聞きたかったのだけど、『Bone Flower』を世に出すとき、「受け入れられるかな?」みたいな不安はなかった?

奈良:そういうことは考えていなかったわ。

僕の仕事は大衆に受ける必要はなくて、「強烈なファンが3人いればいい」くらいの感覚やから。

中川:なるほど、大人数にモテるかどうかは気にしない。奥さんだけが大事だと。

奈良:そういうことです。

中川:ノってくれるやん(笑)

奈良:いや、ここからは真面目に話そうか。

受け入れられるかどうかより、自分が信じる美学や哲学を作品として社会に示せるかどうか。僕はそっちにしか興味がないからね。

『Bone Flower』を作るときに意識していたのは、ずっと自分の中にあった「陶芸と建築を重ね合わせたい」という思い。

噛み砕いて言えば、科学と工芸の融合。

灰かぶりの景色は縄文時代から続いている世界やけど、未だ「窯のどの位置で焼けばどうなるか」は完全に解明されていないのよ。

土の可塑性の動きや焼成のデータを統計的に取って、自分の作品に合ったグラフやパラメーターを作る。一見、工芸と相性が悪そうな“科学的アプローチ”を、あえて持ち込んでいる。

歴史を振り返っても、うちの家業は江戸時代に刀鍛冶の技法と窯の技術を掛け合わせて「楽焼」を生んでいて、もともと“異分野の掛け算”で進化してきたところがあるからね。

建築をやってきた自分が陶芸に入ったのも、その延長線上なのかもしれない。

“0→1”の瞬間がいちばん楽しい!

中川:その「伝統に科学を差し込んだ」という話。How(どう作るか)からWhat(何が生まれるか)が生まれてくる感じやな。

じゃあ、作品が 0→1で立ち上がる瞬間と、そこから1→10、1→100へ広がっていくプロセス、どちらの方が楽しい?

奈良:0→1をつくる瞬間がいちばん楽しいから、この仕事を続けているのは間違いない。

ただ、最近の自分の作品を見ていると、“自分が作品を連れていく”というより、作品のほうが勝手に自分を引っ張っていってくれる感覚もあって。

実際、僕より作品のほうが海外旅行しているし(笑)

僕がまだ会ったことのない人と作品が出会って、そこで予想もしなかったコミュニケーションが生まれる――そういうのがめちゃくちゃ面白いのよ。

だから1→10、1→100と広がっていくフェーズにも、別種の楽しさがあるよね。

中川:最後に、チームの話も聞いてみたい。

陶芸家としては「ひとりの世界で黙々と」だけど、建築家としてはチームを率いている。違いとか難しさはある?

奈良:建築は人と会話することで生まれるヒントが多いし、議論していく過程そのものがすごく楽しいよ。それはいわば“掛け算の発想”で、違う人間にぶつけて新たな価値をつくりたいと思っているから。

中川:型にはめる足し算じゃなく、“掛け算でCを生む”わけか。その感じ、めちゃくちゃ分かる!

僕も昔は、マイクロマネジメントで人を消耗させてしまった苦い経験があるけど、今は「北極星だけ示して、あとは各自のやり方で走ってもらう」スタイルに変えた。

そのほうが人の可能性が広がるし、結果的にクライアントからの信頼も高まるから。

奈良:社長らしいこと言うやん(笑)

中川が社長になるなんて、高校時代は想像つかなかったけど……でも、当時からリーダーシップがあって、場の空気を和ませる存在でもあり。いい意味で“異端児”として目立っていたことは事実。

「ああ、こいつはいずれ自分の道つくるんやろな」っていうのは感じてたよ。

中川:珍しく褒められてる!? お互いに奥さんからの評価は、なぜか散々やけどね(笑)

ところで、コンサルティング×アートって、まだ誰もきちんと形にしてない領域やと思う。ここにも“Cの余地”はありそうじゃない?

お互いに、友達と仕事をするのは全然アリという考えやし。

奈良:嫌がる人もいるらしいけど、なんでかな? むしろ友達のほうが信用できるし、掛け算が起きやすいと思う。

実際、ここ(建築事務所)にも高校の同級生がいるしね。

中川:こうして話をしていると、結局ふたりとも “Cで生きる人間” なんやと改めて思ったよ。

さて、これ以上喋っていたら飲みに行く時間が無くなるから、この辺りでおしまい!

奈良:泉丘高校のメンバーにも声かけているから、早速飲みに行くか。

中川:今日ここで喋った内容より、そっちのほうが濃くなりそうで心配やわ(笑)

◆メガネ社長の編集後記

奈良祐希とは20年来の友人なのに、なぜか僕は、彼が「陶芸に進まなかった理由」を聞いたことがなかった。

考えてみれば、東京藝大を目指した理由も、青春期の迷いも、卒業制作での挫折も、全部、今回の対談で初めて聞いた話ばかりだった。

一緒にバカをやった高校時代のまま、同じ温度で大学、社会人と過ごしてきて。

飲みに行けば、やはりバカ話で盛り上がり、お互いの“根っこ”の部分を深掘りすることなく、37歳になった僕たち。

友人として自然に寄り添いながら、良くも悪くも、踏み込みすぎない絶妙な距離を保ってきた。

友達だから何でも知っているわけじゃない。

むしろ近すぎると、聞かないまま流れていくことのほうが多いのだろう。

奈良は落ち着いた口調で淡々と語るけれど、家業の伝統の重さや、藝大での期待と不安、そして建築と陶芸のあいだで揺れた時間は、どれも簡単に言葉にできるものではなかったはずだ。

それでも、昔と変わらない空気のまま話せる関係だからこそ、こうして素の言葉が出てきたのだと思う。

肩書きでも実績でもなく、長い時間の中に積み重なってきたものを、ただそのまま聞けた対談だった。

常識や正解より自分で答えをみつけにいく。

その過程こそ夢中になれる。

夢中になれるからこそCが生まれる。

これは業界問わず言えることなんだろう。

「正解」を見つけてにいくことはもちろん、そこに「熱や楽しさ」を付加していきたいし、付加できる存在でありたい。

金沢の冬の空気のように、少しひんやりして、それでも芯のある時間。

読んでくださった皆さんにも、“等身大の二人”が

静かに立ち上がるような温度で届いていたら嬉しいです。