2026.02.03 ニュース

【同級生対談】アーティスト奈良祐希×Luvir中川 20年越しの本音と青春の葛藤を語る!(前編)

【同級生対談】アーティスト奈良祐希×Luvir中川 20年越しの本音と青春の葛藤を語る!(前編)

今回、Luvirの中川裕貴が足を運んだのは故郷・金沢。

工芸をはじめとする“ものづくり”の文化が深く根づく一方、近年ではデザイン・建築・ITといった創造産業が存在感を増している。加賀百万石の城下町でありながら、単純な古い/新しいでは括れない、重層的な文化が息づく都市だ。

その金沢で中川と青春をともに過ごした一人が、陶芸家であり建築家の奈良祐希氏である。

奈良氏は350年以上続く大樋長左衛門窯の長男として生まれながら、学生時代の彼は家業から距離を置いていたという。

そこから、どうやって現在の「建築」と「陶芸」という二つの領域を融合させる創作スタイルにたどり着いたのか。

そして、仕事とどう向き合い、何を軸にものづくりを続けてきたのか。

二人がまだ“何者でもなかった頃”の記憶から始まる、原点と現在をつなぐ物語をお届けしよう。

●奈良祐希氏 プロフィール
陶芸家・建築家 株式会社EARTHEN主宰
1989年石川県金沢市生まれ。
2013年東京藝術大学美術学部建築科卒業、2016年多治見市陶磁器意匠研究所首席修了。2017年東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻を首席卒業し、「建築」と「陶芸」という異なる領域を往復しながら独自の創作スタイルを確立した。

2021年に建築デザイン事務所 EARTHEN を立ち上げ、現在は金沢を拠点に国内外で作品を発表。
陶芸分野の代表作『Bone Flower』は、建築的構造と工芸の物質性を融合させた革新的なシリーズで、Art Basel や Design Miami をはじめとする国際アートフェアでも高い評価を獲得。金沢21世紀美術館に史上最年少で永久収蔵されるなど、国内外で存在感を高めている。

建築分野での主な作品は『五行茶室』(2018/金沢21世紀美術館、台南市美術館)、『node』(2023/企業新社屋)、『cave』(2023/富山市)など。

2021年、若手建築家の登竜門<Under 35 Architects exhibition 2021>のファイナリスト7組に選出。2025年の大阪・関西万博では、代表作の「Bone Flower」をパブリックアートとして展示。

「第33回AACA賞 芦原義信賞」、第13回「国際陶磁器展美濃 審査員特別賞」他、受賞歴多数。
生家は初代・大樋長左衛門から360年続く「大樋焼」本家。
●司会進行
Luvir Consulting株式会社
中川裕貴 代表取締役/CEO

「AでもBでもない“Cの道”へ」
名門に生まれた青年が家業を離れた理由とは?

「高校の頃は陶芸の“と”の字も聞いたことなかったよな?」

世界で活躍する陶芸家・建築家の奈良祐希氏を前に、そんな言葉を投げかけるインタビュー記事は、これを置いて他にないだろう。

なぜなら金沢の工房で対面する二人は、単なる取材者と語り手である前に、同じ時間を過ごし、同じ空気を吸ってきた友人同士だからだ。

奈良氏が茶陶の名門に生まれながら、あえて別の道へ向かった理由。それは逃避ではなく、自分の軸を探すための時間だった——。

第1回では、“悪友”の中川だからこそ聞ける、奈良祐希氏の原点を掘り下げていく。

“没頭の正体”を探しにいく 
少し真面目な前置きを……

中川:今日は僕の“悪友”、奈良祐希との対談です。

いつもの2人なら一気に砕けた話になるんですが(笑)、最初だけ少し真面目に、この企画の話をさせてください。

Luvirでは「会社を真剣な遊び場にする」というビジョンを掲げています。

それはつまり、一人ひとりが目の前のことに本気で没頭し、新しい一歩を恐れず、できることが増えるたびに仲間と喜び合える――そんな会社や職場を世の中に増やしたいという願いです。

では、そもそも“没頭”とは何だろう?

その正体を確かめたくて、この企画では各分野の第一線で活躍する人々に取材してきました。

肩書きや成果ではなく、「どう考えて、どう選んできたか」を知りたかったからです。

奈良祐希にフォーカスした理由は、とてもシンプル。

彼は伝統文化のど真ん中に生まれながら、自分の足で進む道を選び続けた人だから。

その選択の積み重ねの中に、僕たちが考える“遊び場の本質”がある気がしたから。

僕は仕事柄、企業文化について相談を受けることが多いのですが、文化とは結局、「人の選択や行動の積み重ね」だと思っています。

では、江戸から令和まで350年以上も受け継がれてきた伝統文化は、どうやって“今”につながってきたのか。そして、ここから“未来”へどうつながっていくのか――。

その話を聞ける相手が、実はすぐそばにいた。

――というわけで、堅苦しい説明はここまで!

今回の対談は、いつもの友人同士の温度で進めていくことをご了承ください。

20年来の悪友同士が語る 
高校時代と“あの頃の金沢”

奈良:まあ、なんやかんや言って20年の付き合いやからね。

高校1年で同じクラスになって、席は前後。中川がサッカー部、僕が野球部。

中川:グラウンドでは泉丘高校(*)創立以来の珍事も経験したし?
*編集部注:二人の母校である石川県立金沢泉丘高校は、県内屈指の進学校として知られる

奈良:大学は関東と関西に分かれたけど、中川が東京に来たときは「六本木で飲むか!」という感じで交流は続いてたね。

中川:その後、僕が新卒で入社した証券会社を辞めて金沢に戻り、学習塾を経営していた時期――ちょうど奈良も金沢に居て、皆で毎晩のように飲み明かしていたっけ。それでお互いにコミュニケーション能力を育んで(笑)

奈良:他の同級生がこの対談を見たら、「あの2人が昼間に会ってんの!?」って、絶対驚くわ。

自分の空間に作り直した“じいちゃんの蔵”

中川:でも、ここ(1階が工房・2階が建築事務所)に来るのは今日が初めて

以前は工房と事務所が別の場所にあったと思うけど、いつからこの形に?

奈良:前は行き来が大変で、効率悪かったからね。

会社を立ち上げたのが2021年。2023年から改装を始め、2024年にはこの形に。

ここは元々“じいちゃんの蔵”みたいな場所で、改装前は50年前のカーペットが敷かれていたような状態やったのよ。

晩年のじいちゃんを説得して新しい蔵を建てて、中の物を全部移した。そこから壁を剥がして、本棚を入れて、壁紙を替えて……。

中川:ほぼセルフで作り変えたんや?

それにしても、2階のこの事務所はめちゃくちゃいいねぇ。空間の雰囲気と、配置している物の世界観がちゃんと響き合っているというか。とくに吊るし照明の存在感がすごい。

奈良:これはイサム・ノグチの『AKARI』で、今はもう入手困難かもね。

っていうか、こんな話で大丈夫?

中川:全然OK。むしろ、こういう話も読者は聞きたいんじゃない?

奈良祐希がどんな空間で働いていて、どんな物を選んでいるのか――そこに、その人の本質が現れると思うから。

蔵の話を聞いていてふと思ったのは、伝統って、ただ守るだけでは続かないのだろうということ。

蔵を単に残すのではなく、自分の働く場所として作り直し、そこに新しい意味を与えていく。その積み重ねが、結果として伝統を未来へ繋いでいくのかもしれない。

家業の陶芸と距離を置き
建築の道へ進んだ青春期

中川:この流れで聞かせてほしいのだけど――

お祖父様は十代大樋長左衛門(年朗氏)で、文化勲章を受章した名匠。

現当主のお父様は、十一代大樋長左衛門(年雄氏)。

350年以上続く大樋焼の本家に長男として生まれたわけで、世間からは御曹司と呼ばれるよね。

奈良:御曹司と言うと、『花より男子』の登場人物を連想されそうやん、違うのに。

でもまあ、そんな感じで言われることは多いわな。

中川:ところが当時は野球に全振りしていたし、陶芸の「と」の字も出さんかったやん?

しかも、進学先は東京藝大の建築学科。

周りの友だちも含めて、「奈良は陶芸の道には行かんのやな」って、そういう受け止め方をしていたと思う。

とはいえ家業以外の道に進むのは簡単じゃないよね。そのあたりの葛藤を、実はちゃんと聞いたことがなかった。

奈良:さっきの御曹司じゃないけど……世間はどうしても、「家を継いで陶芸やるんでしょ?」という目で見るのよ、まだ何者でもないのに。

だから、意識的に家業と距離を置いていた部分はあったと思う。

中川:家業に反発したというより、周りが敷いたレールに乗るのが嫌だったということか。

奈良:そう、それが一番大きかったね。

実は祖父や父からは一度も「継げ」と言われたことがない。強制もゼロ。

むしろ父は、祖父に強制された反動で、自分で道を切り開いた人やから。それを最近聞いて、「だから僕のことを自由にさせてくれてたんや」と腑に落ちた。

中川:そういう距離の取り方ができるのはすごいよな。押しつけずに見守るって、簡単なようで一番難しいと思うわ。

中川:建築には高校時代から興味があったの?

奈良:きっかけは「金沢21世紀美術館」の誕生。泉丘高校への通学路が、ちょうど美術館の建築現場のすぐ脇やったやろ? 何もなかった場所に建物が立ち上がり、街の空気や人の流れが変わっていく過程を3年間ずっと見てきた。

「建築には社会を動かす力がある」と思ったのは、あの時やね。

中川:うん、あれは確かに衝撃やった。

奈良:藝大を目指した理由は、海外のように美術学やアート寄りの視点で建築を考えたかったから。それを学べる大学は東京藝大か美大ぐらいで、祖父が東京藝大の前身に通っていたこともあって、「じゃあ挑戦してみよう」と。

そこで、野球部も辞めて受験勉強に専念し、正直「現役で受かるやろ」と思っていたけど、そんなに甘くなかったね。

一浪することになったのは、やっぱり大きな挫折やったわ。

中川:でも最終的には、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻を首席卒業しているワケで。

その肩書きだけを見ると、挫折後の大学~大学院時代はどうだったのか? ますます興味が出てくるわ。

奈良:東京藝大は本当に課題が多くて、1年で「住宅つくれ」「図書館つくれ」「美術館つくれ」と、5つくらい重めの課題が出てくるのよ。

僕は与えられる課題をこなすのは得意で、成績も良かったんやけど……卒業制作は“最最低”。

中川:謙遜じゃなくて?

奈良:全然。しかも皮肉なことに、その直前まで先生方に「この子は優秀」と推薦され、卒業制作展のインタビューまで受けていたというね。

それでも運よく大学院に進むことができたのだけど、1年の終わり頃には自分が何をやりたいのかが分からなくなってきて。このまま社会へ出ていいのかという不安感も膨らんで……。

そんな時期にふと思ったのが、「陶芸の家に生まれたんやし、一度きちんと学んでみるのもありやな」と。

それで、多治見市陶磁器意匠研究所(*)の門を叩いたという流れ。
*編集部注:岐阜県多治見市にある公的な陶磁器研究機関。やきものに携わる人材を育成する二年制の学校

とはいえ陶芸家になろうと思ったわけではなく、あくまで「別の角度から建築を見直すヒントにしたい」という発想だったのが、やってみたら予想以上に面白くてね。

実はその時に作った作品が、今の作風の原型になっている。

中川:それが多治見市陶磁器意匠研究所の首席修了にも繋がるわけか。

奈良:卒業制作の際に、美術評論家やギャラリストの方から「面白いね」と声を掛けてもらえたのは大きかったね。

2016年頃から作品として形になるものが出はじめ、対価をいただくようになって――とはいえ、大学院には戻らないといけない。

復学してからは、今度は逆に“陶芸の視点”で建築を考えるようになり、そのアプローチが評価されて、ありがたいことにいくつかの賞を頂いた。

そこでようやく、「こういう建築をやればいいんや」という手応えが持てたのよ。

中川:復学する際も、親父さんは「このまま陶芸を続けろ」と言わなかった?

奈良:それが全く。もし強制されていたら、世界が広がらないまま“家業の枠に収まるだけの十二代目”になっていたんじゃないかな。

面白い作品も生まれなかっただろうし。

中川:親父さんに感謝やな!

でも奈良は昔から、「これをやれ」と言われて素直に従うタイプじゃなかったわ(笑)

むしろ、与えられた選択肢以外を探しに行くというか。

奈良:確かに。「AかBを選べ」と言われたら、まずCを探すタイプ。

AやBって、いわば固定観念みたいなもので、「この問いには2択しかない」と思い込みがちだけど、実はそんなことはない。よく探せば“オプションC”があるはずで――それを見つけにいくプロセスこそが、僕にとってのアートなんだと思う。

中川:そういう風に考える“癖”はどこから?

奈良:祖父の影響かな。常識や正解より、自分で見つけた答えを大事にするように言われてきたから。

それに祖父自身が、茶陶から一歩外に踏み出して、自由な陶芸の“形”にも挑戦してきた人。

僕の作品を見ても、「骨の花みたいだな」と、既存の言い方にとらわれずに新しい視点をくれたからね。

『奈良祐希氏の代表作である「Born Flower」』

中川:「骨の花」というのは、代表作『Bone Flower』についてだけど、それは第2回で詳しく聞かせてもらうとして――。

おじい様は、伝統の中で守るべきものは守りながらも、「それだけじゃおもしろくない」と、新たな表現を追求して来られた。その背中を見て育った奈良だからこそ、“Cを探す”という思考が自然と身についたのだと思う。

この辺りで、そろそろ第1回を締めようか。

ビジネスの世界も同じで、僕が仕事で付き合いのある経営者や、尊敬する人たちは、いずれも“自分なりのC”を見つけてきた人たちばかり。

しかも、そのCは“皆にとっての正解”じゃなくていい。自分の考えや思いで「これだ」と選んだ――その潔さが、迷わず没入できる“腹の据わり方”に繋がっていくのでしょう。

今回、奈良と話してみて改めて感じたのは、彼の創作哲学と、Luvirが大事にしてきた組織づくりが、不思議なくらい重なっているということ。

次回は、そのあたりを中心にもっと深く話していきます。

【次回予告】

第1回では、奈良祐希氏が家業から距離を置いた時期に、何を感じ、何を拒み、そしてどんな選択をしようとしていたのかに迫った。

後編――第2回では、アートとコンサルテティング。交わらないはずの2つの現場で、それぞれが味わった“壁”と“突破の瞬間”を語り合う。

そして、世界が息を呑んだ奈良氏の代表作『Bone Flower』の誕生秘話とは?